散歩 2007年

2007年) 平成19年

(12月11日) 大阪四天王寺の変還(史跡発掘や文化財保存〜講師をお迎えして)
 忘年会も兼ねましたが、あいにくの雨天。10時西門〜12時30分  1時〜忘年会 早い帰宅でした













西大門-極楽に通じる門 極楽門 本尊-地蔵尊 Mさん と Oさん 亀井堂で一服 雨宿り












中門(仁王門)南大門の北に



六時堂
昼夜6回に亘って
諸礼讃をする所から、六時堂と



雨天で鑑賞できなかった 
      本坊庭園
0
最後は五重塔へ昇りました。
雨のため 見晴らしは悪く・・・・


雨で煙る五重塔 最上階の天井 ネットから拝借の五重塔

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(11月20日) 欠席
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(10月16日) 京都・出町柳〜清風莊〜知恩寺〜京大(昼食)〜吉田神社

10月例会〜参加者50人。爽やかな天気で、皆さん元気に8000歩ほど歩きました。

         ☆ 清風莊

昔 西園寺家保有の広大な庭園と邸宅。京大に寄贈。現在は学生寮に



邸内の庭園見学は、繁多な手続きとコネが必要。諦めました。

     ☆ 知恩寺 ( 浄土宗 大本山・百萬遍・知恩寺) 元祖法然上人

百萬遍・知恩寺 
本堂でお経を唱えて、
百萬遍大念珠くり
鐘の音に合わせて
念珠を左から右へ
送ります。

鐘の音に合わせて
なむあみだぶつを
繰り返します。
終りの方は
どんどん早くなります♪♪♪
境内 まだ芙蓉が咲いてました。
本堂(御影堂) この道の、右に釈迦堂。左に阿弥陀堂が
釈迦堂 京都の三大釈迦如来のひとつです
阿弥陀堂 ここは見せてもらえません
庭園  (宝物館は撮影禁止でした)
素敵なお庭を拝見できました 

       ☆ 京都大学

若い会員の方は、カフエ・レストランで。
私はレストラン。 喜んでいいのか ?

京大時計館 知恩寺から京大へ、徒歩20分 レストランでランチ 高齢の会員17人で。

        吉田神社 平安時代(794年) 藤原山蔭卿が、
                     
藤原の氏神(奈良の春日の神)をここに勧請。鳥居も朱塗りです

                                         

京大から15分ほどで、
吉田神社です
宮司さんの説明・・・

はじめて集合写真を
本宮 中には四座の神々が祭られてます。神社とその歴史を宮司さんから


             ☆ 斎場所・大元宮 

大元宮 この中に社殿が

           ☆ 社殿

朱塗りの八角に六角の後房。屋根は茅葺 風格ある社です


昭和14年改修 同55年修理されて、重要文化財


社殿を取り巻くように、全国の神々が祭られてます-


            〇 出町柳の民家

出町柳の駅近くに、レンガ作りの家が、 京都の町に ? 中国みたい・・ 


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(7月17日) 香露園〜郷土資料館〜西宮砲台〜西宮神社〜昼食〜総会 現地解散

「松葉の丘」









香露園駅から少し歩くと
浜へ続く 松葉の丘 です

台風も去り、梅雨も一休み
緑に囲まれての散策です。
「郷土資料館」  


西宮私立資料館の
学芸員のミニ講座

歴史
産業
漁業

「西宮砲台」


江戸時代(1836年)に
幕府によって築かれた砲台で、
実際には使用された事なし。

明治(1884年)に火災で焼失

昭和(1974年)修復・補強。

  国指定史跡

資料〜西宮市教育委員会


              「西宮神社」

「赤門」 室町時代 建立
戦災にも焼失を免れた赤門


      「大練塀」
     247mの土塀
  国の重要文化財です

  信長塀・太閤塀と共に
   日本三大練塀です。        
 (塀の説明を聞いてます→)
    

  

西宮神社 広い境内

十日恵比寿には
福男が、この道を走ります

何度も曲がり、
かなりの距離です。






宮司さんの
ていねいな説明を聞き乍
ゆっくり 拝観しました。



「太鼓橋」









午前の散歩を終えて
西宮市内を歩き・・・
西宮駅近くで昼食

総会終了。現地解散
8月9月は お休み

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(6月19日) 京都〜鴨川右岸の史跡を訪ねました。

(1) 頼山陽 書斎 山紫水明処 (国史跡)

山紫水明〜書斎の前(東)に加茂川が流れてます
夕暮れ時 東山が紫色に見え、加茂川が明くなる時刻をさします。
山陽が川で魚を釣り、川向こうの友達に見せると、
「山紫水明の頃に食べに行く」と返事が・・・・
風流ですね                 
江戸後期の儒学者。日本外史を起稿

東に加茂川。贅沢な造りの書斎で
漢詩、書、画等・・・ 多才な頼山陽の
お話を聞きました。


(2)新島襄 旧宅

     
和洋折衷の素敵なお邸。資料見学
1843年〜1890年 キリスト布教 宗教家。
1870年27歳。アーモスト大学卒業。
     日本人初の理学士の学位取得。     

1875年同志社 設立。 47歳で死去






(3)梨木神社 名水〜染井

梨木神社り境内にあります 
京都三名水の1つです


梨木神社への道 
木立とセセラギの間の土道です


(4)清浄華院 浄土宗 「泣き不動縁起」の絵解

( しょうじょうけいん )と読みます
浄土宗大本山 本尊〜法然上人
本尊の左に 不動明王が安置。
泣不動説話〜安倍の清明も登場
珍しいお話でした。


高僧・智興が重病に
祈祷師・安倍の清明が呼ばれ
若い弟子の 証空が身代わりに。
高僧は快復。身代わりの証空は
不動明王に熱心にお祈り。
証空の願いを聞き届けられて      
結局 智興も証空も死なずに、
不動様は赤い涙を・・・

紙本着色泣不動縁起
(室町時代)

      


(昼食) くに莊(香淳皇太后旧宅)


懐石美味でした

食後 美登利豊な
広いお庭を散策
庭から木戸を出ると
加茂川べりです。

次の阿弥陀寺へ

(5) 阿弥陀寺 信長の墓所 出町柳近くの加茂川べりで解散。盛沢山の史跡・寺社見学でした

阿弥陀様に、全員でお経をあげて
墓地へ。住職さんは編み笠をかぶり
解り易く、戦国武将のお話を。
広いけど、質素な墓地でした。

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(5月 )  伊勢方面 バスで散歩でしたが 欠席でした
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(4月16日) 史跡の多い三木市を訪ねて、快晴に恵まれ、7時30分出発〜5時半帰宅

  
往  (地下鉄)東梅田〜JR (快速姫路行き)加古川〜(西脇行き)厄神〜(三木電鉄)別所
    復  (神戸電鉄)三木・上の丸駅〜新開地(阪神電鉄)梅田〜(地下鉄) 沢山乗りました


法界寺→十王堂→古い町並散策→昼食(川久)→雲龍寺→三木城跡→金物資料→上の丸駅 解散


厄神駅から三木電鉄で別所へ
別所駅から数分歩いて法界寺
17日は、別所公法要(絵解き)

「法界寺」


本堂で住職のお話と、絵解き見学
法界寺で、1年1回の珍しい絵解き法要拝観。
1月17日が長治公命日。季節のよい4月17日に法要


三木合戦で1年余りの籠城。長治公は、
自分の命と引き換えに、家臣と領民の助命を嘆願、
長治公23歳。弟21歳。叔父一族自害しました。
のちに 奥方照子も自害。



辞世の詩  今はただ 恨みもあらじ 諸人の 
          命に代わる わが身と思えば


「十王堂」

法界寺から少し歩いて十王堂へ

特別に開扉で見学できました。
壁画は今でも綺麗な色彩を保ち
閻魔大王を始め10王は木製です
右半分だけ撮れました






十王堂見学後昼食 川久で〜
美味しい ミニ会席でした。

食後、店主さんから水戸黄門の話

光国育ての親が、別所一族の子孫。
墓参に法界寺へ黄門一行が来て・・・・       
この地でロケがあり、川久にも〜

残念乍 去年の12月放映でした。


「古い町並み散策」 

           雲龍寺→


「三木城跡」
高台に石碑。銅像。井戸。秀吉との激戦の様子。広大な敷地には、図書館。市役所。なども・・・・・ 

←城跡の別所長治公銅像

篭城を助けた大井戸↓

広大な城跡には図書館も 市役所もありました

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(3月20日)今回は遠く名古屋。バスで散歩でした。          風景 写真
徳川美術館〜庭園散策〜ガーデンレストラン食事〜川上貞奴邸〜文化の道散策〜熱田神宮

(1)徳川美術館へ 尾張徳川家の雛まつり 3年前に復活建造された庭園見学後   昼食〜レストラン

美術館鑑賞です
写真内緒で1枚

(2) 文化のみち二葉館 
この館は、女優川上貞奴が居住してたもので、和洋折衷。ステンドグラスもソファーも伝統も、当時のまま保存

貞奴さんの
ソファーに座って

ご機嫌の2人


文化のみち 散策 

カトリック主税町教会
1959年ルルドのマリア像

門と塀を残し、マンション建設に
この邸は昔のまま保存されてます

門と塀はそのまま残されて

灯篭の奥に高級レストラン

(3) 熱田神宮
  4時〜50分 4時50分〜帰途大阪へ梅田8時到着 帰宅9時 40人事故もなく無事終了

西門から入って
鬱蒼とした参道を 信長塀 桶狭間の合戦後奉納 熱田神宮 本宮 佐久間灯篭

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(2月20日) 河内松原 みはら
黒姫山古墳。黄檗宗法雲寺。広国神社。丹比神社。etc出水(歴史)先生の案内で散策。

「法雲寺」 黄檗宗大宝山「河内西国六番霊場」( 花の寺)

松原駅からバス乗車
       ↓

禅寺法雲寺−中国風の門
       ↓

七福神も祀られてます
       ↓

七福神の他にも、↑黄金の観



天保大飢饉の時、七福神が勢揃いして
その神通力で飢饉が鎮まったそうです。

二月なので、花はまだですが、
高く聳えた古木。豊かな緑の樹木。
広い庭園。青空に映えてました


史跡 「黒姫山古墳」 「資料館」「歴史の広場」 見学後 歴史広場で昼食


前方部から24人分の甲冑が
古代豪族丹比(タジヒ)氏の墓 歴史広場の埴輪 竪穴式石室(復元) 精巧な甲冑のレプリカ


〇広国神社
 
                  〇丹比神社      〇松原駅前解散

祭神-広国押武金日命 元は三原町3地区の氏神 祭神〜火明命 神社の側の大木 歴史博物館で

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(1月16日) 大阪市内 玉造神社→越中井→マリア聖堂→どんどろ大師→三光神社→真田山

〇森の宮遺跡 見学
4000年前の大阪の陸と海説明

〇←玉造稲荷神社
古い歴史がありますが、大阪の陣で焼失
大きな石鳥居が残ってまし


〇神社の境内に社が・・・・・→
   大阪城に入った徳川の将兵に
    夜になると狐が悪戯するので
     ここに祀られたそうです


〇マリア聖堂

←マリア像           正面 右に細川ガラシア夫人像。

広い聖堂の中は、ステンド・グラスが両側に張り込められて、

キリスト誕生から、マリア様が天国へいかれるまでの様子が
ステンド・グラスに描かれてます。
広い教会の椅子に座ってると、
仏教徒の私達は、ただ珍しく ここが大阪市内〜忘れそう〜


昼食は、某高校の学生食堂でお世話に。ご馳走様でした。


←真田幸村 像


当時の抜け穴跡↓
〇真田山〜陸軍墓地も見学

1871年(明治4年)に設置
1877年(明治10年)西南戦争
1894年(明治27年)日清戦争
1904年(明治37年)日露戦争
1931年(昭和6年)満州事変
1937年(昭和12年)日中戦争
1941年(昭和16年)大東亜戦争

戦争を何度もして、沢山の戦死者を出して、
手にした平和。平和憲法を大切にしたいものです。
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